幸福の世界

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新型コロナウイルスが猛威を振るっています。瞬く間に多くの命が失われ、感染の恐怖が広がり、日常生活が奪われた。人々は、激変する世界をどのようにとらえているのだろうか。

広島ラーメン

広島ラーメンは戦後広島市を中心とした広島県西部でよく見られる醤油とんこつ味のラーメンである。

広島市とその周辺限定のラーメンを広島ラーメンとする。

広島県内でも県の中央部と東部(尾道ラーメン、福山ラーメンなど)いわゆる備後びんご地方ではラーメンなどの文化圏が異なっている。

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基本的には製麺所で作られた中細麺を使用している店が多く、少数派ではあるが中太麺を使う店もある。

古くからある広島ラーメンのスープの基本は豚骨鶏ガラ野菜などを白濁するまで煮込んだものを醤油味のたれに入れこげ茶色(コーヒーミルクに似た色)の豚骨醤油スープである。

豚骨ベースですが、かなりあっさりしていて、味に目立った部分はなく、香りもとてもマイルドです。

一言で言えば、さっぱりとした優しい味のものが多いと言えます。

有名なご当地ラーメンのスープのようなインパクトは強くなく独特の個性もないが古くから地元の人々に愛されてきた。

広島市やその近郊で圧倒的に多い広島ラーメンのスープの特徴ではあるが、同じ広島とんこつ醤油ラーメンでも、店舗のバリエーションによっては極太、醤油ラーメンにやや近い豚骨の香りが極めて強く脂肪分の多い醤油ラーメンなど、基本的な製法は同じでも広島ラーメンとは印象が異なる個性的な店舗もあるが、基本的な特徴が同じであるため「広島ラーメン」の範疇はんちゅうに入る。

基本の具はチャーシュー、ネギ、もやし、シナチクの4種類。

青菜やナルト、ゆで卵などを最初から提供している店は少ない。

茹でもやしは黒豆もやし(ブラックマッペ)で、広島ラーメンの特徴の一つであり地域では認知されている。

現在では注文時に「ラーメン」と呼称する地元住民が多いが、歴史的経緯から代表的な店や老舗では暖簾のれんやメニューに「中華そば」を付けている店が多く、意外にもラーメンではなく「中華そば」と呼称する店や客も多い。

大衆食堂や焼肉屋町中華、麺処などでラーメンを注文すると、広島ラーメンがよく出てくる。

大東亜戦争後、特に広島では原爆投下による荒廃こうはいから都市全体が復興すると、他の都市と同様に一銭洋食(お好み焼き)やホルモンなどの安価な食品を出す屋台が自然発生的に現れてにぎわった。

これらの屋台の中には中国本土や満州からの引揚者や中国人のによって経営されている中華そばの屋台もあった。

「中華そば」の味に感動した日本人はスープを見によく屋台を訪れてまねをしていたが次第に「上海」などの屋台を出し始めた。

昭和32年ごろから営業を開始した「しまい」が今日の広島ラーメンの原型となったと考えられている。

初代「陽気」は「しまい」の沖稔からラーメンの作り方を直接教えられた津留田秀明が開いた屋台であったが、のちに原宏之が暖簾を持ってその屋台「陽気」を引き継ぎ借金を返すため商売を始めたのが現在の「陽気」。

少し遅れて「すずめ」が開店し、この2店が現在の広島ラーメンのスタイルを代表するファイナリストであり広島ラーメンの歴史に名を残す店となっている。

なお「陽気」と「すずめ」は互いの実家が親族関係にあたる。

この流れを受けて白濁した豚骨スープに醤油を加えた焦げ茶色の豚骨醤油スープ、中細麺、ネギ、チャーシュー、モヤシ、シナチクを加えた「広島ラーメン」の原型は太平洋戦争後、昭和35年頃に成立したと考えられている。

r.gnavi.co.jp

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